犯罪の存在

「NET等の普及によって犯罪者が服役後に社会復帰が難しくなる」と言った概要のエントリーにコメントを残したので、その辺について適当に書きなぐってみる。
 基本的な中の人のスタンスは、「覚悟が無いならばやるべきではない」です。犯罪のみに限らず、何事においても基本的にはこんな感じです。「服役したのだから罪は償った」と言う考え方もあまり好きではありません。なにかをするという事は、なにかを背負う事です。極端な例ですが、殺人を犯した人は服役後も人を殺めた人と言う目で見られるのは当然だと思います。殺人にも理由はあると思いますが、事実は事実です。
 と、基本的にはこんな感じですが、犯罪を犯した人を服役後、無条件に叩けと言っている訳ではないです。罪を背負いつつ努力する人は認めてあげるべきだと思います。が、中には罪を背負う事もせず、のうのうと暮らしている者もいるのです。この前のコンクリート詰め殺人の犯人などが良い例です。犯罪を犯す事で背負うものを意識せずに犯罪を起こし、出所後にまた犯罪を起こす。裁判の席では、周囲の目が社会復帰を妨げたのが、今回の犯罪の原因などとふざけた弁護。
 犯罪を犯す事は大きな荷物を背負うことです。荷物を背負いつつも努力する人も多くいます。荷物を背負う事をしないまま、まわりにまた迷惑をかける者もいます。問題なのは犯罪を犯した事が伝わる事ではなく、周りの人間がきちんと物事を考える事が出来るかどうかなんだと思います。
 NET社会が元犯罪者の社会復帰を妨げるのではなく、思考停止こそが社会復帰を妨げているのだと中の人は考えるのです。元犯罪者という括りの中にも色々な人がいます。その人を見るときに肩書きのみを見るのでは無く、人としての全体を見るべきだと思います。
※元犯罪者ということが知れなければ良いんじゃないの?と考える方がいらっしゃると思いますが、元犯罪者だという事まで含め、人間としての全体を見るべきだと思います。(自分から元犯罪者だと名乗れとは言いませんが…)

書き殴ったので纏まりがありませんが、この辺で筆を置きたいと思います。
違うんじゃないの?等の意見も大募集。